豆日記

学生という特権を駆使して言いたいことを言い散らかす生き恥の集積場です。

伝わる嬉しさと世界に生きる希望を感じた話

Design ship2019!ビジュアルシンキングパートナーとしてグラグリッドのグラフィッカーとして描いてきました!

 


f:id:mamemamebeansmame:20191127114150j:image

f:id:mamemamebeansmame:20191127114159j:image

 


f:id:mamemamebeansmame:20191127115106j:image

f:id:mamemamebeansmame:20191127115100j:image


今年はプロカメラマンの逢坂憲吾さんが撮って下さったのではちゃめちゃに綺麗で臨場感があって絵が美しいです。


Design ship2019の振り返りではなく感想文になります。デザイン問答です。

 


■この世界この時代にデザインに携わって者として生きててよかったなと思った話

こんなにも真剣に世の中のこと考えて、デザインって何か、生きるって何か考えて実践してる大人がいるって素晴らしいな

自分はあるシリーズものの舞台が好きで、その理由が若手俳優を本気で育成してくれているところで、舞台上のカーテンコールでライトに照らされながら最高の笑顔をみせる瞬間が本当に好きで、こんなにも輝いてくれてありがとう、輝かせてくれてありがとうと思いながら見ている。

でもそれって別に舞台だけの話ではないんだなって

なんだろうな。自分たちの未来を考えてくれてる、こんなにも恵まれた環境で、生きてることに感謝だなと思いました。

 

自分勝手に色々デザイン問答して悩んで失望したり希望を見出したりしてたけど、別に私1人が抱えている問題ではないなと今更自覚しました。両極端でしか捉えてなかったから勝手に苦しんでたけど同じように苦しんでるのは私1人じゃないしすでに実践者はいるしみんな苦しんでみんなでどうにかしようとしてるんだなと改めて気付かされた。

 

 

■グラレコは書き手の代弁者ではなくて聞き手の代弁者であった話

「自分の話が描かれる」が嬉しいんじゃなくて「伝わってる」ことが嬉しいんだなって今更思った。伝わるって嬉しい。

今回描くとき、手頃なアンケートみたいなイメージなのかなって思ったけど、それよりもお前の話こんな風に伝わったぞ!と聞き手の代表として登壇者に伝えるという意味合いもあったのだと気づいた。

ボードを見て聞き手があ〜ここよかったよね!って思う場なんじゃない。聞き手はすでにここがよかったです!って想いが存在するから代表して描いてただけなのかなと。


でもやっぱり実際に書いて貼るってハードルが高い。TwitterとかFacebookで拾ってこっちで描くとか、聞き手全体の感想を踏まえた上で書いてみるとかも面白いかも。


色々考えたけど望月はもっとメタで考えててなるほどなぁとなったので引用。

-----------

望月ブログより

◾️おいしいおつまみの話

考えること、それを表に出すこと、言語化すること、これって本当に難しい。私自身も、セミナーやイベントに行ってインプットした後に、質問を求められたり意見を求められても、なかなか出てこない類の人。

よく大人が「懇親会が一番面白いんだよ」と言うのが、全てを物語っている気がする。一番面白いのはお酒とつまみを片手に熱く語り合うこと!笑 堅く言えば、受動体から能動体になって、皆で知恵を紡ぎ、次のアクションに繋げていくことではないだろうか?お酒とおつまみは、その手段🍺

 

この二日間で、ビジュアルボードを「おいしいおつまみ」として考え語らっている参加者の姿を見る度に、ビジュアライズの価値を感じることができた。


https://mtzkkotomi12.hatenablog.com/entry/2019/11/26/221304

-----

あぁ、そういうことかと腑に落ちました。

同じ年齢で同じコースで同じように学んでるのにここまで適格に言語化されると嫉妬しちゃうし正直悔し

 

*追記
アンケート的なものかなって思ってたけど〜って書きましたが実際にこの役割はあると思ってます。登壇者から参加者へ伝わる嬉しさと参加者から登壇者に伝わる嬉しさ両方向で伝わる嬉しさがあるんじゃないかな。私は自分の感想とか想いがその根元(=登壇者)に届いてたらめちゃくちゃ嬉しいです。登壇者から想いが伝わって能動的に付箋に書いちゃうくらいのデカイ感情を持った時点でもうその人のファンみたいなものだと思ってます。

 


■溢れ出てくるクソでか感情を持つ人たち

なんか周りを見てみると、デザイナーはみんなクソデカ感情を抱えて生きてるなぁと

前に狂気の中で生きていたいという話を端の方に書いたけどこれってそういうことなのかな。制御しきれないほどのクソデカ感情を抱えているときが狂気の中で生きているのだとしたら、狂気的な人間ほど人生楽しいし、どうにかしてでもそのクソデカ感情伝えるためにアウトプットするのかなと。

デザイナーはそのアウトプットの術を持ってるのは幸せなことだって思ったけど、そうじゃなくてクソデカ感情をアウトプットしたいと思って行動に移してたらデザインという手法に辿り着いているのかもしれない。

 


■誰かにこの想いを伝えたいと思った時の話

そういえばこのブログを書き始めたきっかけも自分のこの思いを誰かにぶつけたいって想いからだったなと。私の話を聞いてくれって思って常にブログを書いてる気がする。聞いてくれって思わなかったら別にスマホのメモで済ませばいい話だけどこうしてわけわからない長文でブログを書くんだから誰かにこの感情を知って欲しいと思ってるんだろうな。

別に知見を広める系のブログじゃないし。

 


自分は今なにか狂気的なまでの感情を持っているのかどうなんだろうなぁ

 


■デザインとは愛であった

一年半ほど前に愛に飢えた遠藤はよくわからずにデザインとは愛の結晶だったんだなみたいな発言をしてたけど、改めてデザインは愛なんだなと思った。

改めて愛がないとデザインできないなと。

今はもう売れるためのデザインをやってる人はほとんどいなくて、売れる製品をつくる工業機械としてデザイナーが消耗されることは求められてい。もしそうなら、デザイナーはなにをするのか

こうあって欲しいという傲慢な愛を持って、その愛を原動力に理想の世の中を作る起点になっていくのかなと。

 

書いてて世の中の気が狂ったデザイナーたちは何でそんなにも気を狂わすことができるのか聞いて回ったら面白そうだなと思いました。多分何にもならないけど

 


■ユーザーは共犯者であってほしい

共犯者って言葉はなんか適してないけど

ユーザーって言葉がなんか好きじゃない。

サービスデザインは神のふりかけではない。

こんな暮らしっていいよね〜パラパラ〜ではなくてこんな暮らしを一緒に作りませんか?でありたいな。

 

 

■学校の話

別に卒制のこと嫌いじゃないけど全然進んでないやってないなんでだろう。実は卒業したくないのかというレベル。


歴代の先輩方が積み上げてきたものをぶっ壊した上に先輩方が集めてきた甘い蜜は啜って生きてきた学年だけど後に何か残せているのだろうか。なんだかんだ色々あったけど今まで良い思いをさせてもらってるし、何なら多分これからも色々と手助けをしてもらうと思うし、大人に支えられてここまで来ている自覚がある。美味しい部分だけ全部かっさらって去っていくのは申し訳ないのでなんかできることがあったら言ってください。

 


ふと考えたら伝えるとか動かすとかの考え方は卒制と同じシステムだなと

自分の生き様とか考え方が一種の卒制の成果みたいなものだよなと思える。他者に触れて自分も行動して価値観や考え方が変わってそれでまた他者に影響を与える(自分が与えてるかはわからないけど)

当たり前だけど卒制って今の「自分」の価値観の生き写しになるんだなと周りや自分を見て思った。出来栄えの云々はまぁあるけど根本にある軸や考え方はこの大学生活で考えてきたことや培ってきたものが反映されてるわけで面白いなぁと思った。