豆日記

学生という特権を駆使して言いたいことを言い散らかす生き恥の集積場です。

卒制とお金と私の振り返り

お久しぶりです。遠藤です。
卒展が終わりドタバタもひと段落したので区切りとして何か文章を描きたいなと思ったので書きます。卒制についてです。これとは別に4年間を終えて何か書こうと思ってます。毎回纏まりないですが今回は特に纏まりないです。

 

卒制の内容についてですが、人様に見せるのが申し訳ないほどのものだったので公には何をしているのかあまり発信していなかったのですが、よくよく考えたら今までこれだけ恥を晒してきたんでまぁ関係ないかと踏ん切りがついたので公表しようかなと思います。

 

お金についての卒制をしておりました。
もともとお金に関して考える機会が多かった4年間でしたが、改めてその集大成としてお金とは何かを考え直しておりました。
成果物としましては「小規模コミュニティにおいて信頼と原動力を生み出す通貨システムの提案」として簡易的なシステムとUIを作りました。いわゆるお金の持つ「価値」を無くし、「意味」を送り合うことで信頼を醸造し、その結果行動を起こしやすくするというものになっています。色々と(主にグラフィック面が)ガバガバですが遠藤の価値観は詰まっていると思います。

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これを考え出した経緯ですが、展示していた長文ポエムを貼っておこうと思います。

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お金と価値ってなんだろう。

今日、人々の消費行動が変化し、モノ消費からコト消費へと移行してきているといわれている。このように、お金の使い方や、ニーズが変化する一方で、資本主義という、お金を絶対的指標とするシステムは変化していない。お金の示す価値は本当にそのものの価値を示すものなのだろうか。

お金の示す価値とは一体何なんだろう。もしお金が示す価値がそのものの価値を示すなら私の価値は1時間1050円だ。私より頭の回転が早い主婦は1時間950円で働いている。
資本主義においてお金になることは価値があるが、お金にならないことは価値がないとされる。己の価値だけではない。自分の中で価値があると感じるものが、世の中の仕組みとしては価値がないとされるこのギャップはなんだろう。
本来お金は手段であるはずなのに、なんでお金が重要事項のように扱われがちなのだろう。
お金という価値基準は正しいのだろうか?金という尺度の与える影響は強い。
お金の有無なんて生まれながらに選べない。もしお金は信用というのなら生まれながらその信用が少ない、多いというのはどういうことなのだろう。

なんで生きることとお金って結びついてるんだろう。お金がなくて苦しいとはなんだろうか。
「こんだけ働いてるのに金こんだけかよ、貰えないのかよ」
「ボランティアって搾取じゃん」
何気ない会話で聞く言葉だ。お金に関して結構シビアな目で見ている。
生きることと稼ぐことは結びついているのだろうか。お金以外の対価ってなんなんだろう。逆にお金を対価にするってなんなんだろう。

これだけお金お金言ってるけど、お金で何がしたいんだろう。
お金で何がしたいかを考えると充実した暮らしを送ること。お金の裏側に暮らしがあるというよりは暮らしの土台にお金がある。

では「よりよく生きる」を肌身で感じるためにお金が必要なのだろうか。「よりよく生きる」とは何か。

「よりよく生きる」とは受動的なものではなく、もっと能動的なものなのではないだろうか。
他人のクリエイティブ性に触れた時、自分も何か行動したくなる。「自己」が何か行動したいという欲求に駆られてしまう体験が「よりよく生きる」ことに繋がるのではないか。
自分の価値観という軸を持って、いまの自分を内省して、「自分が何をしたいか」を考えて行動することが「よりよく生きる」ことなのかもしれない。

結局のところ、お金は道具。
ただの生きることをより潤滑にするツールでしかない。
お金に善悪は存在せず、勝手に大きく捉えすぎているだけなのではないか。
お金をどうこうしようという視点ではなく、お金をどう活用すればより有効に利用できるかという視点が大事なのではないか。

お金の示す価値は人々のなかでの絶対的な価値を示していない。お金で価値を示すのではなく、お金は価値を示す物差しのひとつにすぎない。
そうなるとすればお金の価値とは、人々が「よりよく生きる」ことをより潤滑にするツールであることなのではないだろうか。

そして、「よりよく生きる」ことをベースにお金をとらえ直した時、新たな価値のものさしがうまれるのではないだろうか。


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改めて読むとぐちゃぐちゃで汚い文ですが、私は「お金」自体に違和感を感じていたのではなく価値を示す媒体が「お金」というものに大きく依存していることに違和感を感じていただのだろうなと思います。
目の前に価値があると信じているものの価値を表明するのがお金しかないことが苦しい。
お金を使う人に対してとやかくいうつもりはないが、お金でしかその価値を表明できないのはしんどい。ただ金を持たざるもののひがみかもしれないですが。
私がちょこちょこ行っている舞台は一公演7000円〜15000円ぐらいで、大体相場は1万前後だ。これは高いとか安いとかいう問題ではない。
私は舞台を見て生きるエネルギーをもらっていると言っても過言ではない。その世界観やその完成形に至るまでの裏方作業、脚本、演出、音響、衣装大きな熱量で動いている。そしてそれらを一身に受け止め、己が果たせる役割を全うし表現する役者たち。役としての価値観はもちろん、役者自体の価値観、未来、過去に思いを馳せてその素晴らしさに心を打たれている。舞台を通して内省し、自分はどう生きたいか、どうすればいいかを考えている。
これだけ多大なる影響を受けているものに対して私が渡せるものはチケット代と物販の費用だけだ。私はお金を渡すことでしかこれらの価値を示すことができない。バクステを見ただけでどれだけその世界観を作るのに苦悩しているかわかる。その成果を私はお金を払うだけで得ることができるのだ。
お金をバカにしているわけでもないし、お金の重要性はわかっている。金で殴る行為を否定しないし結局お金でしか表明できないのでお金を使っている。でもお金を使うことしかできないことに虚しさを感じる。

なんか長々と書いてしまいましたが多分ここら辺が己の根元なのかもしれないなと終わった後に思いました。

 

また、お金の価値とは別軸で、お金を稼ぐことに対するモヤもありました。

以前書いた気がしますが3年間UXとサービスデザインを学び、最後は当事者デザインという言葉に全てをぐちゃぐちゃにされました。(あくまで主観ですが)
今まで私が学んできたことはビジネスとしてなり得るかを前提として考えていて、自分はお金稼ぎのための歯車になってしまうのか、私は搾取する側になってしなうのか、ビジネスは悪なのか、私が尊敬している人たちは悪なのか。思考がどんどん淀んでいき、考えるべき本質を見失ってるなと思いじぶんの中でスッキリとするためにお金をテーマにしました。

働くことと稼ぐことは繋がっているようで自分にとっては繋がってないものなのかもしれないなと。(ただ単に自分が重ねたくないだけかもしれませんが)
この1年ビジネスとは離れ、生きることとは何かとか人間が人間らしく生活するとは何かをミクロ的マクロ的両面から見つめ直してきました。結果、なんとなく今まで生きることと働くことはワークライフバランス的思考で別のものだと捉えてたのですが、生活の中に働くという行為があるんだなと思うようになりました。まだ社会人として働いていないのでどうなのかわかりませんが。もし来年以降「やっぱ重要なのはワークライフバランス。働くことと生きることは別で働くことが私生活に入り込んでくるのは絶対に良くない」みたいなこと言ってたら笑ってやってください。


己の卒制についてはここら辺で展示中にもらった言葉とか考えたこととか次に書きます。

◼️価値と価格の話
ここら辺がごっちゃになってたから苦しかったのかもしれない。価値=価格ではないことは理解しつつも同じ軸で捉えてた節があるから頭を抱えてたのかも。価値を一番明確にわかりやすく示す物は価格であることは事実だけど価値=価格というわけではない。お金の示す価値とその行為や物の価値は違うんじゃない?と自分で言いながらそこに一番振り回されていたのは自分なのかもしれない。


◼️対価としての報酬と投資としての報酬の話
報酬(給料)というものは過去に行った行為に見合ったものという考え方ではなく、その報酬を利用してコンディションを整えて次の行為がよりよくなるように投資するという考え方もできるという話を聞いてなるほどなと思った。そんな考え方が当たり前になれば日本は変わっていくのかもしれない。
行為と対価の関係性は難しい。価格のレッテルを貼られると良くも悪くも「あぁ、私はこの程度の価値の人間なのか」と思う。勝手に私の行為の価値を決めるなという話だ。


◼️価値の軸の話
なんだかんだ言いつつ、結局が現代における代表的な価値の表記手段はお金である。
何かお金を使うとき、その物にお金を払うんじゃなくてその価値にお金を払うんだって考えればいいんじゃない?という話。
自分が価値の軸を持っていればただお金を使うのではなくてその価値は何か何をもたらしてくれたかを考える。そう思うと何に価値を感じているのか勝手につけてくれて勝手に分類してくれて、それを後から見直して自己を見つめ直せるっていいよねという話。


他にも送りたいものは受け取りたいものだという話や自分の軸から価値を捉える話などいろいろ言葉をいただき、なるほどな〜と思ったのですが、自分の言葉で置き換えられなかったので己の心に刻んでおきます。

今年は遠方からも多くの方にご来場いただきありがたい言葉をいっぱいいただきました。あらためましてこの場でお礼申し上げます。ありがとうございます。

 

卒展が終わってバタバタしてたのがひと段落して気の抜けた生活を送っていると本当に卒業するんだなと少ししんみりします。

卒展では今まで知らなかった同学部の人の作品を見て、うちの学部ってこんなにも頑張れる人がこんなにもいるんだなとものすごい失礼な事を思いました。そういえば芸術系の学部だったなと。良い卒展でした。

4年間の振り返りもちょこちょこメモに書いているので近いうちにそちらもあげようと思います。

それではまた。