函館にて
様々な経緯の末、函館に木づかいプロジェクトの合宿に参加してきました。
ものすごいモヤモヤを抱えた状態で参加した合宿だったけど終わった今では少しモヤが晴れた気がします。本当に参加できてよかったです。機会があればまた参加したいと思える程度には本当に参加してよかったと思います。
中京大学の上芝先生、宮田先生、宮田ゼミのみなさん、一緒に合宿に行ってくれた望月、合宿でお会いしてお話ししたみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
ここからは遠藤が参加してよかった〜って思った理由とか参加しながらこんなことを考えてた〜って話です。色々考えすぎて書ききれない部分もあるので何か落ち着いたら別の機会で書こうと思います。
◼️クリエイターとしての遠藤を肯定された話
最近全然何かを作るんだという思いがわかなかった
F班が、行き詰まってるとき、みんなで息抜きに散歩してたら一人が道端の花でパパッとおしゃれなフラワーアレンジメントを作り、そのクリエイティブ性とか完成度の高さを見て他メンバーも負けてられねぇ!と結果的にものすごい模型を作り上げてしまった。
その話を聞いた時、その花を見た時、その模型を見た時、自分が悔しいと感じ、自分も何か作りたいと思えたことがものすごい嬉しかった。
最近何をしてもあまり悔しいとか、何か作りたいとかの欲求がなくて、常に妥協点でなんとなくなんとかしてた気がする。
そんな自分でもまだ悔しいとかもっと作りたいとか、そんな想いが残ってたんだということがたまらなく嬉しかった。
◼️好きなものは好きでいいんだなって思った話
なんか自分って絵を見るのは好きだけど自分から好んで絵を描くことが多いわけではないし、音楽も好きだけど自分で弾かないし、演劇も観るのは好きでも自分が演じようとは思わないし、自分の好きなことって全部受動的な楽しさばかりだった。能動的な趣味って全然無くて、なんかクリエイティブに〜とかいう話だったり他の人が音楽とかやってるみたいな話きくと何となく自分が受け身に回ってるただの享受者に甘んじているダメ目な存在のように思えてなんとなく苦しかった。
多分これって自分の中で作ったあるべき姿にとらわれてたのかな〜って思う。
別に好きなもんは好きでいいじゃ〜ん。
好きを冒涜する権利は誰にもないよ。
なんだかんだ言って自分の行動の根源にあるのは好きなものへの感謝だなって改めて思った。
◼️何をして生きていくか
何をすればいいかじゃなくて何をしたいかなんだよなって思った。
最近ずっとこれから何をして生きていくんだろう、今やってるUXの考え方なんて近いうちに当たり前のことになるわけで自分の(一応)専売特許が専売特許じゃなくなったとき、自分は何して生きていくんだろうってのを漠然と考えてた。
その時の環境において自分が何ができるかっていう結構烏滸がましいこと考えてて、何もできないのでは?という風に思ったりその時はその時でなんとかなるかと考えてたけど結局は何かできるかじゃなくて何をしたいかなんだなって思った。
○○ができるから△△するって考えでいると一生現状維持なってしまう
△△したいから○○をできるようにするの方が人生楽しそう
人生楽しく生きた〜い
◼️人生やったもん勝ちだなという話
なんか今まで何かをやるのに中途半端なことしかできないのに行動の移そうとするのって自分はこんな中途半端にしかできないんだってを世の中に曝け出しているようで恥ずかしくてすごく嫌だったんだけどそうじゃないんだなって今更思った。
もちろん自分が中途半端な実力だって自覚は必要だけど、それを理由にやらないのは違うなって
できないからやらないんじゃなくてやらないからできないし、行動しない時点でできないけどやってる人を僻む理由にはならないよなって本当に今更実感した。
◼️己の幼稚さにかなしくなった話
悲しい。
なんか本当にどうしようかなって感じ
他人のパフォーマンスを上げられるような行動をしたいのに自分の幼稚さのせいで最終的にパフォーマンス下げちゃうのなんとかしたい。
多分無意識のうちにマウント取ろうとしてるんだろうなと思う。もう少し棘の少ない人間でありたい。
◼️余談
始めて北海道に行ったんですがめちゃくちゃ道が広くて、道がまっすぐで驚きました。
函館についての知識が戊辰戦争で旧幕府軍が負けた場所(?)で海鮮が美味しいくらいの知識しかない状態で行ったので、なんでこんな街並みなんだろうという話をしながら勝手に函館史を考えるのが少し楽しかったです。