豆日記

学生という特権を駆使して言いたいことを言い散らかす生き恥の集積場です。

ノート棚卸し

色々とメモ帳につまりにつまっていたので大放出しようと思います。

 

書いてる時期も違えばテンションも違うので文体がぐちゃぐちゃですがなんかお蔵入りさせとくのも勿体無いので出しておこうと思います。

 

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感じていた違和感の正体

 

発表を聞きながら別に悪い意見ではないしそうだよなって思うことが多く、間違っていない、その意見は正しいし施策としてはあり得るんだろうなって思うものだった。もちろんツッコミどころは多いが、短い時間で作ったにしては良いものだったと思う。でもどうしてもこれではない感が拭えないなという感想だった。発表を聞きながら何が違和感があるんだろうと考えていたが、問いがないとか、本質的な何かが抜けているということは明らかなのだが、そこから今一歩踏み込んだ理由が掴めないなとモヤモヤしていた。ずっとなんか違うよな〜何だろうな〜これにおける本質って何だろうな〜って考えていてようやく一つこれかな?というものが出てきた。

 

考えていたものが「どうやって価値を伝えるか」ということがベースになっていたことかなと思う。

もちろんこのことも大事だ。でもこの場で1番考えなくてはいけないのは「どのような価値を提供するか」でなくてはならなかったのだろう。

言葉としては似ているし、「どのような」を考えるよりも「どうやって」を考えたほうが成果物見栄えが良い。

「どうやって」が考えられていなければ価値は伝わらないため、考えなくてはならないことに間違いはない。だが「どのような」価値を伝えるかわかってなければ如何に素晴らしい伝える手段があってそれっぽくても何か違和感が出る

 

舞台や映画で如何に壮大な演出をして、レベルの高い演技力をもつキャストを起用し、素晴らしい音楽が流れたとしても、脚本がよくわからなかったり、なんか結局何がしたいのかよくわからなかったというのと同じかも。

結局はキャストや音楽、舞台装置などの演出は何か伝えたいものがあってそれを客に伝えるための装置でしかない。伝えたいものを伝えるために試行錯誤して演出にこだわるし音楽もこだわるしより良いキャストを起用するんだよなぁ。

 

何が言いたいかっていうと提供したい価値が明確ではなかったのにどうやって伝えたいかだけを作り上げていったからコレジャナイ感が拭えなかったのかなということ。

別にどうやって伝えるか考えることがダメなのではなくて伝えたいものも無いのに伝える方法ばかり考えてもそりゃ意味ないわって話。

普段伝えたいものはあるのに伝える手段が全然出てこなくで頭を抱える日々を過ごしているので逆に手段を考えることがうまくいってる感を感じてしまっていてそこにこだわってしまっていたなと。反省。

 

始まってからよくわからなすぎてテンパってしまったけど改めて考えると普通に今まで通り、未来はどうなっているのか、未来はどうあってほしいかという観点から逆算して下ろしていけばよかった。

冷静になって考えれば未来から今を見据えればよかったのだな思った

 

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ワークする上で気をつけなくてはならないこと(感想)

 

ワークする人の間で上下関係は存在しない

相手を常に尊敬する姿勢が必要不可欠である

もちろん引っ張れると思える人はその実力を発揮するべきであるとは思うが、命令であってはならない。

心地よいワークし、終わった後に良い場だったと思うためにはお互いの意見を聞き出せているのがベスト

自分事化するためには自分の意見が言える場である

そしてファシリテーターが先を見通している必要性がある。

何のためにこの工程をしているのか

作るために話し合っているのではない

作ったものをどう扱うか、どう動かしていくかという観点、もしくはメンバーが今どう思っているのか引き出せる、フラットで忌憚のない意見が聞けるということが大事

 

あいつらはバカだから分かっていない、なんでこんなレベルの低いことをしているんだと思うのならそれは自分が独りよがりになっている証拠なのかもしれない

 

ワークショップをやる上で目的の共有ってまじで大事だなって思った

 

 

 

サービスだけ作っても本当に意味ないんだなって思った

 

サービスを作ることに価値はない。

サービスでどんな価値を提供するかってこととそれを本当に伝えられるのかってだけ

 

あとその場で何が求められているのか

今回の場合ポスター発表で必要なことはサービスの説明じゃなくて工程とかどんなもがきをしてどこがつらくて改良したくて悩んでるかを共有して、そうだよねとかこうすればいいんじゃない?という意見を磨き合う場で、こんなの作ったよニコニコじゃダメだったなぁ

 

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本当に学会行ったのか?と言うほど直接的に学会の内容には触れてないですが学会に行ってきました。

 

 

▪️私たちの強みとは何か

社会の流れから外れることなく就活というものに影響を受けながら日々生きています。

そのため、私たちの就活中のライバルはどんなことできるの?私たちは勝てるの?勝つためには何すればいいの?ということを裏目標にして学会に挑みました。結果としては他大学はほとんど学会にこれなかったためこの裏テーマは消え去りました。南無。

HCDを学んでいることはもうすでに強みにならない、当たり前になっている。らしい。

だからといって自分が何ができるかって言われても何ができるって言えるほどの強みがあるわけでもない。悲しいなぁ。

 

▪️共創

今時代は共創だって言われてるけどI/Oの人って全然共創してない!トップダウンが嫌って言いながらも共に創れてない!当事者がいない!でもこれってチャンスでは?

上の私たちのつよみとは何かにつながるが、I/Oと他大学の違いってゼミじゃない、強制されてできた組織ではないということだと思う。ならば組織の形は自由。フラットな人間関係ができる組織にした〜い!楽しくいこ〜ぜ!

技術で勝てない、HCDは出来て当たり前、ビジネスもペーペー、現場に乗り込む度胸もない、ならそれ以外何がある?ってなったら組織づくりなのかなと思う。脱息苦しいサークル。

 

今の3年でディスカッションしている時って結構楽しい。その時って結構意見がバンバン出るし勝手に誰かが可視化して拡散と収縮が自然と出来ている気がする。

この瞬間って共創している状態なのかなって思う。

この楽しさを是非2年生とかに味わってほしいと思う。議論が加速していく感じ(?)

自分が楽しくなければ他人を楽しくさせることなんてできないし自分が幸せじゃないのに他人を幸せにするなんてことはできないと思う。ユーザーの幸せ考える前に自分の幸せ考えろよって感じ。みんなで幸せになろうね。

 

 

 

▪️誰のためのデザインか、何のためのデザインか

社会に求められるデザインはこんな感じ。

でも私って別に社会に求められたいからデザインしてるわけじゃない。

その考え方が必要だから取り入れるはわかる

その考え方が面白いからウケるからやろうはわからない。

私は何でデザインをするの?したいの?

それの根本的なものがない空虚な人間だなあ。探す旅に出るべきか? 何のために生きてるの自分。

私はできることなら頑張ってる人が幸せになる社会がいいと思う。理不尽なことを解決するためにデザインが利用できる。

だからUXDやHCDを私は勉強しているんじゃないの?それを持続して続けるためにビジネスがあるんじゃないの?受け狙いでやったら誰中心設計なの?先方中心設計じゃんwさようならw

 

と思ってたけどなんか勝手にスッキリしました。

良くも悪くも当事者デザインであってもサービスデザインであってもそれは社会を良くする手段でしかないのでは。

頭の中で勝手に反抗してたのは私の中での就活が無意識に大きくなりすぎていたのかもしれない。だからなんでもかんでも就活に結びつけてクソクソクソ〜〜ってなってた。たろえ就活でウケるためのデザインだとしてもそのウケることが目的ではなくてウケることで得られる結果が目的なんだなって。

ものすごい大袈裟だけど私が10年後20年後社会をよくしていける人になりたい!!ってなったときにそれができる人になるための手段でしかないんだと思いました。

 

 

といっても当事者デザインがなんたるかはイマイチわかってない

今まで産業革命で大量生産大量消費により心を失いながらも頑張ってやってきたけどそんな機械的になんかやるのはもう限界!!他人を愛そ!!自分を愛そ!!私にとってあなたは他人じゃない!!あなたの問題は私の問題、いや私たちの問題だよ!一緒に解決していこう!すべてのことは自分ごとで考えよ!!ということ??よくわからない。

それを学ぶ手段として自然と触れ合うとかコミュニティに参加してみるってこと?

今までは、デザイン思考で捉えてサービスを提供するのに共感が必要!でも自分がその立場じゃないからわからない><共感するためには当事者となることが必要なんだ!😳

という感じだと思ってたのですがもうよくわからないです。

 

 

A:デザインとしての考え方(自分が当事者になって立場が変わって行く)当事者デザイン

B:純粋に昔みたいなあったけえ人と人とのご近所付き合いのような、物々交換をし合うような、究極的にはお金がいらなくなる助け合いとしての当事者デザイン

違う事言ってるのに両方とも当事者デザインって言ってるからよくわからなくなる気がする。

デザイン界隈こんな事多くない?別のことを同じ言葉を使うから話が噛み合わずに混乱するし初学者は迷子になるのでは?。何でもかんでもデザインつければ良いってものではない。混乱しか招かない。

 

 

 

▪️今の社会とこれからの社会

井登さんの発表が個人的になるほどとなった。

今社会を構成しているほとんどのものってインターネットが発展する前のものだということ。第四次産業革命が起きつつある(もう起きている?)のにその前のシステムで動き続けているからいろいろなところで歪みが起きてきている。だからいずれインターネット前提でないものは変化か崩壊するだろうという話。

なんかこんな話をよく聞くなぁと思う。高校時代の小論文で書かされた気がする。それは人と人との関係性の話だったけど。

なんか色々なものが限界にきてるんだなと思う。

これから色々な組織やモノが変化するか崩壊していくのだと思う。封建主義(?)、社会主義、資本主義と変化し壊れてきたが、これからはどう変わっていくのだろう。どちらかと言えば年齢的には変えて行くになるのか......?

 

 

 

 

 

 

 

▪️学会3日間の翌日に京都にいってきた

 

今考えるとアホかなと思う。帰ってきた火曜日は脳内CPUの稼働率が95パーセントぐらいでポンコツで空気とかしてましたが書いている今は再起動して70パーセントくらいまで落ち着きました(?)未だポンコツ状態なのは変わらないけど。

 

結論として京都いってよかったーと思います。特に19時から突如登り始めた稲荷山が良かった。

蛍を人生で生まれて初めて見ました。

なにも考えずにホゲーっとしている時間って大切だなって。私と環境だけの世界。もしかしたら私も環境かもしれない(?)逆当事者。

人という単位で区切るのではなく私以外は全部環境。だからなにに気を使う必要はないのかなって。他人を意識するのって疲れるし。

何をするにしても他人がつきまとうなんて面倒な世の中だなぁ。

 

と思う一方で人の温かみも大切だなぁと思う。人間って難しいなぁ。

 

 

 

 

稲荷山の道中で拾ってくれたおじさんとホタルについて教えてくれた龍谷大の教授と唐突に似顔絵をくれた外国人観光客のお兄さんに感謝をこめて。