インターンの面接の行ってきた話
都内某社のインターンの面接に行ってきました。私の予想だと落ちると思いますが個人的に面白いなって思った事があったので書きます。
あと内弁慶なので面接で言えなかったあれこれを書きます。
いつもの通り面接の直接的内容は触れずに面接して感じたことを書きなぐってます。
◼️「デザイン」という言葉の面白さ
デザインって本当に広い。何でもかんでも「設計」が必要だったら「デザイン」って世の人は言うからなん◯◯デザイナーというものが溢れかえっている。
今回面接官だった方は元々グラフィック系の出身でUI設計が得意。対して私はガッツリUXとかの時間や体験のデザインの出身(?)でUIがそこまでできない。
できることが違うのに「UI/UXデザイナー」という応募枠で面接をし、される関係となっている。
なんかこれって面白い。面白くない?
違うことやってるのにUIとUXがまとめられることにより同じ土壌にあげられている。
ふと思った、というより実は常に思ってはいるがなんでUI/UXデザイナーなんだろう。
UIを通してUXデザインをします^^という意味なんだろうけど当たり前なことだと思う。
そこら辺の体験踏まえたユーザーインターフェースなのでは???
グラフィックデザイナーだって、グラフィックレコーダーだってそれをすることによってどういう風に場を動かすかとかユーザー体験をどうするかとか考えてデザインしてるけどグラフィック/UXデザイナーとは名乗らない。
たしかに優れたUIでないと優れたUXはできない。だからUI/UXと言いたいのかもしれない。でもサービス考えるうえでUXがわからなくてもいいというポジションの人はどこにもいない気がする。
似たような響きだからってまとめるべきではないしUIとUXは同レイヤーの存在ではない、と思う。
UIデザイナー、UXデザイナーと分けてくれればいいけど、UI/UXデザイナーとするんだったらせめてUI/UX(8:2)デザイナーとか私はこっち側が得意なデザイナーですよ〜と分かりやすくしてほしい。本来分けるとかそう言うものではないけど。そもそも
ついでに私はUI/UX(3:7)デザインぐらいです。
UI/UXデザイナーと一括りにされてるのにUIメインのデザイナーとUXメインのデザイナーで話が少し合いにくいのってなんとなく面白いと思います。
UI/UXデザイナーをお求めの皆さん、どちらのデザイナーをお求めなのでしょうか。
ミスマッチを減らすためにもUIデザイナー募集かUXデザイナー募集か明確にしてくれると学生としてありがたいです。ガチでUIが出来るUXデザイナー、UXがめちゃくちゃわかるUIデザイナーを本気で募集してるならUI/UXデザイナー募集でもいいけどそうでなければどっちを絞ったほうがお互いハッピーなのでは
?個人的にUI/UXデザイナーを募集している企業の8割くらいはUIデザイナーを求めている気がします。
◼️デザイナーは何者か
私の中の永遠の謎「デザイナーは何者か」問題
「プロダクトの設計をする人」「Webの画面偏移を考える人」「アプリのUIを設計する人」「その場の設計をする人」「人の動きを設計する人」「人の思考を誘導する人」「価値を設計する人」
幅広すぎて世の中のことの6割くらいはこじつけでデザインにできる気がする。ブログだってこれを見て読者がどう思うか考えて書いてればもう立派なデザイン!!!このブログについてはそんなこと全然考えてないけど。
自分の人生を設計したら立派ななデザイナーだね😉
なんかこうなってくるとすべてのことはデザインだっ!みたいになってくる。なんか上から視線でムカつくな〜って最近思ってます。
デザインという言葉が便利すぎる。でもたぶんこんな風にデザインデザイン言ってるのはデザイナーだけなのかもしれないとも思う。
社会に出てない人間だからわからないけど。
ここまではデザインの領域!!!と線を引く必要はないと思うけどなんか何でもかんでもデザインって言い過ぎではないですか?
「デザイナーとは何者か」というのがどんどん曖昧になって言っている気がする。
私は一体何者なんでしょうね!
とはいっても肩書きにこだわる必要はないと思うので「デザイナーとは何者か」に対して「形式上デザイナーと名乗ってはいるけど別にデザイナーという肩書きにこだわりはないし今やってることがたまたまデザイナーという枠に当てはめられてるからデザイナーで〜す」という気持ちも正直ある。
メタ的に考えると「デザイナーとは何者か」の答えは「何者でもいいじゃ〜ん」かもしれない。
◼️個人的な共創と当事者デザインの考えのまとめ
共創デザインってなんだろう。当事者デザインとかCo-creation とかなんか言ってるけど。今時代が混沌としてるし先駆的な状態だから仕方ないけど一つの事柄の対して色々な名称があったり一つの名称に対して様々な意味があったりするの勘弁してほしい。
ただでさえごちゃごちゃしているのにこれ以上混乱させないでくれ!!!と思う。
閑話休題、私の中での共創というのを一旦まとめておこうと思う。
共創とは
自分一人でとか似たような人が集まっても新しい考えはでないよね。違う考えの人と刺激を与え合うことで共に創っていこうね。
そのために
①違う考えを受け入れる
②自分の考えを臆せずに言える
つまり環境を作ることが大事だよね
ということ。
でその中身は大きく分けて3つあって
a.ユーザーの意見を取り入れてユーザーと一緒にサービスを開発する組織(例:Blabo、ユーザーが商品の企画会議にプランナーとなり参加できる)
b.他の部署や企業と一緒に、多方面からの視点を取り入れたサービス開発を行う組織(企業横断型のサービス開発とか、産学協同とか?)
c.企業とか関係なく他人に教え合う、教わり合う関係の組織(地域コミュニティとか?)
でaとbがビジネス的共創でcがコミュニティ的共創
こうなると当事者デザインと共創は似ていてちょっと違う。
当事者デザインは
当事者意識を持ちましょう!!という感じ。
例えば
WSとかだったら参加者じゃなくてそのWSを一緒に作るんだ!みたいな
供給を受ける側ではないんだよという感じが一つ。
あとサービスとかを作るとしても作る側がユーザーに対して共感しないとユーザーに寄り添ったサービスは作れないよ。その「共感」を持つためにサービスの作り手としてじゃなくて当事者としての意識があるといいんじゃない?
と言う感じだと勝手に解釈してる。
まあ簡単に言えば他人事として何かするより自分事として考えた方が楽しいし深く考えられるよねということ。かな?
じゃあ自分事として考えるためにはどんなことすればいいんだろう?となった時に3月ごろにやったWSのように様々な物事に対して「着眼」して「解釈」する。
なんでこれが自分事化につながるかっていうと日常的にに行うことで自分と色々なものとの「関係性」が深くなってそれによって自分事化しやすくなる。から深く物事を考えやすくなる。のかなぁ?と思う。
なんか全部大事なんだけどなんだかレイヤーが違う気がする。共創をするために前提として当事者デザインである必要がある?というような?
なんかそう解釈するとスッキリした。
自分の中でうーーんと思ってたことがこうして書き殴ることでスッキリする😊