豆日記

学生という特権を駆使して言いたいことを言い散らかす生き恥の集積場です。

【2/3しごと展】

突如であったが席に空きがあったため論理的思考からアイデアを共創するWS(?)に参加した。

広告のキャッチコピーを作るというもので一応それっぽく形にはなって終わったものの、全然中身のないものになった。

曖昧なペルソナ、ペルソナの欲求と結びついていない価値。やりやすいようにペルソナは美大生としてあるのに典型的なファインアートを学ぶ独創的なものを作り上げたり、さっき自分たちで言ってた考え方と矛盾する価値の提供であったりやっていてどうすれば良いのかと頭を抱えた。下手に私の意見でリードしすぎてもそれはもうグループワークではなくなってしまうう。あの場で私はどうすればよかったんだろうか。今思うとあの場はこう言ったアイデア創出方法もありますよーというものだったからおかしいと思った場所はガンガン指摘したほうがよかったのかもしれない。あれが最適解ではないということをしっかり伝えられればよかった......

 

やっていて美大が厳しいと言われているのがわかった気がする。

それは美大生が悪いのではなく、デザインを学んでいるのに教わっている内容がデザインでなくアートになってしまっているのだろう。

今回すごく楽しかったと言っていた分、また学校に帰ってデザインという名のアートを学ぶのかと思うとなんだかモヤモヤする。

また、デザイン思考を学ぶ意味が少しだけわかった気がする。

 

企業展

グッドパッチさんの説明を聞いた。

説明後「UX/UIデザイナー」の話を少ししたが、UXデザイナーはUXデザイナーとUIデザイナーを一緒にするのを嫌う人が多い気がする。(まあそもそもUXとUIは別物であるが)

グッドパッチさんは社員全員がデザイナーとのことだが、この「デザイナー」はUXデザイナーなのだろう。

また、上流工程においてエンジニアもUIデザイナーも関係なくインタビューやインサイト抽出を行なっていることに驚いた。まさに全員がデザイナーだからこそできる技だ。

 

スクラム開発は、2週間を1サイクルとしてプロトタイプを作り、フィードバックをもらい、また2週間で作り~というものであった。これが昨日柿迫さんがおっしゃっていた作ってフィードバックをもらうということなのだろう。

優柔不断極まりなく仕事を伸ばしがちな私たちもこれを意識して動けば精度が上がるだろうか......?

 

他の企業も聞きたかったが時間の都合で退場した。

そして写真も撮り忘れた。

 

 

 

 

 

 

個人的にAdobeのトートバックが生地が結構しっかりしていて嬉しかった。

【2018.2.2 日本経済新聞社×Goodpatch×MOGLID】

【2018.2.2 日本経済新聞社×Goodpatch×MOGLID】

 

インハウスデザイナーからフリーランサーまで、3社の話を聞くことが出来たいい機会だった。

 

それぞれ働き方の違いはあったが、デザインとビジネスは切り離せない存在であることだ。

ビジネスにはデザインがないと成り立たないこと。

 

トークセッションのときにARCHECOの熊崎さんが「親に職業聞かれたら営業だと言っている」と言い、その時は会場はハハハという感じではあったが、これはとても深刻な問題である気がする。

実際に私も親や祖父母に何勉強してるのと聞かれて答えても理解されなく、結局デザインだから表面的なことをやってるんでしょと言う形で終わってしまう。

もう2年前の話だが高校の時にも小論文でデザインとアートの違いという今思うと根本から違うアホらしいものを書いていた。この時の書いた違いはクライアントがいるかどうかとかだった気がする。つまりデザインはクライアント中心設計の装飾的なものだとこの時は言っているようなものであった。アホすぎる。

しかし、普通科高校に進学した高校3年生の遠藤真緒はそう捉えていて、その文を添削した美術の先生も国語教師も問題ないどころかイイ文章だと褒めてくれるぐらいにはデザインのイメージが旧式のままであった。

(ついでにその先生はいまでも私がグラフィック系のデザインをガリガリやってると思っている)

 

デザイナーの種類が多様化する一方でデザイナーの捉え方は変わっていかないのはなんでなんだろうなと疑問に思った。

(デザインという言葉の持つイメージが強すぎるから?もしくはデザインの範囲が広がりすぎてデザインの定義が曖昧になっているから?または日本国内から世界を震撼させるようなデザインによる成果がまだないから?)

 

 

 

 

どんな業種かまだ悩んでいるという話をしたら何になりたいかじゃなくて何をしたいかではないかというアドバイスをいただいた。

自分は一体なににをやりたいのだろうか。

まだはっきりとはしない。でもデザインに関わっていきたいのだろうなとは思う。

 

 

今学んでいることは思っているより価値のあることなのだと感じた。

だからといって今学んでいることを受動的に授かっているだけでは全然足りないのだということも実感した。

春休みの間にどう行動に移せるかが鍵だ。

まず手始めに面白みのかけらもない状態のエクササイズのUIを修正しようと思う。

 

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メモ

 

1.情報を蓄積する

UI であってもサービスであっても情報の蓄積が大切。

こういう人ならこれが好き、逆にあれは好きじゃないなどデータが自分の中であることでユーザー視点が生まれる(?)

 

2.プロトタイピング・実装する

何かできたら実際に作って使ってもらってフィードバックをもらうフィードバックをもらうとどんどん良くなっていく。ユーザー中心だったらユーザーに使ってもらってどこが良いか、ダメかを把握する。

 

3.常にwhyを考える

WhatとHowベースで考えると作業になる。

これをやることで何をしたいのか、なぜやるのか問い続ける姿勢。

言われた言葉をそのまま受け入れないでなぜ?を考える。聞く。

オープンラボ振り返り

 

オープンラボのサブタイトルに「わたしたちの学び方」とあるように「学び方あってますか?」というのが今回のテーマだった。

 

(前々から気づいてはいたが)結論から言うとあってなかった。

去年からずっと言われているがプロジェクトがタスク処理になっていた。

どうすればタスク処理にならないかと聞いて教えてもらってもなんとなく腑に落ちないでいた。

今回なんとなくタスク処理からの脱却の道のりがわかった気がする。(気がするだけかもしれない)

 

⑴学ぶ気持ち

 

BMCを描いた、収支計画を書いた、ストーリーボードを描いた。でもかいただけだった。

かくことによって何が得られるか、理論上ではなんとなくわかっていてもその得られる「結果」に注目してなく、かいた「手段」に満足して外面だけそれっぽくできてよかったねで終わってしまっていた。

お金がどう動くんだろう?じゃあBMCを描こう。うーんなんとなく動いてる気がする!これでよし!というような。

その手段を使う意味の本質を全然見抜けてなかった。

 

⑵手を加えようとすること、自分でわかるまでやること、テンプレを壊すこと

 

BMCを見てこれすごくわかりにくいというコメントを頂いた。

自分自身もなんとなく感じ取っていたが、これがテンプレだから、見本と似たような感じの方がいいと言ってそのままにしていた。

結果として自分自信もよくわからないまま展示会になっていた。かいた本人よくわからないのに見ている人がわかるわけがない。

もしテンプレでよくわからないなら変えればよかったのだと今更気づいた。テンプレはあくまでテンプレであって絶対守らなくてはならないわけではない。

今思うと既存のものを自分の手で変更するということを本能的に恐れて避けていたのかなと思う。

 

 

 

⑶盗もうとする気持ち

 

TTP(徹底的にパクれ)

パクることは恥ずかしいことではない。

敬意を持ってパクらせていただくくらいの気概で。

グラフィックの面についてももちろんそうであるが、サービスの仕組みについても盗めるものは盗む。既存のものと同じものではダメだが、類似サービスの良いところを盗んで取り入れる。

成功してる=人気がある=良いサービスを提供している

良いサービスから何がいいのかを分析してその結果を取り入れる とか

 

⑷伝える努力をすること

 

サービスの中身を見てもらいたくても展示方法やボードのレイアウトがわるいと中身を見てもらう前につまづいてしまう。

最低限のレイアウトができないと本当に欲しい言葉まで行く前に会話が終わってしまう。

また、(2)でも触れたが、元々のテンプレがよくわからないなら見やすいように変更しないと伝わらない。

本当に伝えようとするなら誰に伝えたいのかをはっきりさせてその人に一番伝わる手段を選ばなくては自分も相手もコミュニケーションが取れずに何も生まれずに終わってしまう。

 

全部書いてあることは当たり前のことではあり足りなかったのは学びへの貪欲さだったのかなと思う。

今回オープンラボで先輩や社会人の方から意見をもらって自分の足りなさに気づけてよかった。

 

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