豆日記

学生という特権を駆使して感じたことを好き勝手に言い散らかしたものの集積所です

レコーダー視点で語るDesignship2018

【レコーダー視点で語るDesignship2018

 

お久しぶりです。常葉大学の遠藤です。

先日行われたdesignshipにてグラグリッドさんのインターン生として、ビジュアルシンキングのお手伝いをしてきました。

 

レコーダーから見た内容要約!とかしても今回のグラレコは記録のためではないため他の方々の文章での速報の方が何倍も詳しく書かれているので省略します。いつもの通り主観で感じたことを書きました。グラフィッカー視点でって書いてあるけどどちらかというと遠藤真緒視点で語るDesginship2018な気もします。

 

 

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◼︎何のためのグラレコか

今回グラフィクレコーディングを行なっていましたが、こちらの肩書きは「ビジュアルシンキングパートナー」でした。

ノートテイクとしての役割ではないです。

広義としての本質的な価値は他の子が書いているので省略します。

 

部長の望月

https://mtzkkotomi12.hatenablog.com/entry/2018/12/03/211624

 

副部長の山川

https://note.mu/harekuma/n/n43d05a2ee6c2

 

 

では狭義としてはなんのために描いてたかというと、セッションで聞いた内容へのリフレクションのとしてです。

簡単に言うと、聞いた内容にたいして何か思うことあったらメッセージ書いてね、得た知識を自分の中で終わらせないでアウトプットしましょう!ということです。

率直になんか聞いて、思って、それどこかにその想いぶつけたくない?そのぶつけ先としてグラレコ置いておきますね。というイメージ。

ツイッターじゃない、フェイスブックでもない、電子状でなく物理的に感想を押し付ける、投げられる絶好の機会だったということです。

遠巻きに記録用として眺めてた方、いませんか?

書かなかったみなさん、後悔してください。多くの登壇者の方が「伝える」について話した後にことを。そして何かしらでアウトプットしましょう。

あなたはオーディエンスではないです。

どんなに運営が頑張っても、レコーダーが頑張っても、最後に皆さんが一歩行動してくれないと純粋に描いたものが壁画のような扱いを受けてしまうの悲しいという要因も大きいので自分もこのカンファレンスを作る一角を担ってるんだという思いで来年はより多くの人に参加していただきたいです。

今年でも多くの方が参加してくれましたが貪欲に、来年は参加者全員が何かの思いをぶつけざるをおえないようなレコーディングをしたいですね。

 

 

 

まるで全然書いてくれる方がいなかったみたいな文ですが実際には多くの方に思いをぶつけていただいています!感謝!

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そして書いていただいた付箋を何個か(勝手に)抜粋しました。

 

ブランド観点でデザインする

いくら使い勝手が良くても心に残るものがなければすぐに別の使いやすいものに変わるんだろうなあ

 

プロトタイプの途中でもガンガン公開しちゃうのってクリエイティブ!

 

社内で協創について話題に上がっていたけどゴールばかり意識してしまっていた!ありがとうございます!

 

後に続く人たちのために記録を残すという姿勢が素晴らしいと思いました。

 

越えさせていただきます!

僕のロールモデル

(エクスペリエンスデザイナーとしてチャレンジしてきた俺の屍を超えてゆけ)

 

セッションを聴いて改めて医療の抱えるデザインの重要さに気づいた!面白かった!

 

未来を変えていきたいという想いがすごく伝わってきて胸が熱くなった!応援してます!

 

デザイナーは言語化が苦手な人も多いけど企業の中では説明が大事、そこはデザイナーの努力によってデザインが浸透するかと!

 

 

 

◼︎思考を止めるな!

一つ前の項目で散々あなたはオーディエンスじゃないんだよということについて語りましたが一方でこういう登壇者の方の話を聞くものって「ああ、すごい、なるほどな!」でおわってしまいがちな気がします。太田さんの話から引用すれば「わかる、はもういい、変える、をはやく」の「わかる」で終わってしまう。有知無能。

ではどうすれば「わかる」で止まらなくなるのでしょうか。私は第1ステップは「思考を止めないこと」だと思っています。第2ステップは「言語化し、アウトプットすること」かなって。そして第3ステップで「語り合うこと」第2と第3は場合によって入れ替わりますが。

私は約1年前からブログを書くようになったのですがものすごくこれを感じます。

結局は自分の言葉で書かないと入ってこないなって。ただのメモであれば、それは自分のわかるではなく、その話した方の「わかる」のままで、自分の言葉で語ることで始めて自分の「わかる」になる。

今回、デザインシップで検索するとものすごい数のツイートや投稿があって、自分の言葉で色々な人がアウトプットしているんですよね。これって登壇者の方の話を聞きながらフルで思考を回転させて、直後に発信したくてウズウズしてる人が多かったんだなと思います。あぁ、登壇者の方想いは伝わってるんだな、「変える」「動かす」プレゼンってこんなにも力強いんだなって思いました。

 

こんだけアウトプットの大切さを感じながらも私自身、最近ブログをサボりがちでした。しかし今回デザインシップに参加してこの気持ちを昇華させたい!どこかにぶつけたい!という思いがムクムクと湧き出て書きました。

この更新されてない約半年の間様々なことがあって(ありすぎて)一応文章にしてはいたものの、人様に見せられるレベルではなかったのでそっとしておいたスマホのメモ約5000字程度眠っていました。これは年末大放出がきそうですね

 

 

 

◼︎わからないからプロトタイプをする話

すごい心に刺さる言葉でした。

誰もわかる人なんていない、だから先に進まなきゃいけない。

デザイナーの強みって

・混沌に寄り添う力

・答えがないものに立ち向かう力

だというふうに言われています。では自分はそれができているかと思うと、できていない。

最近では、わからないから一時停止してそのまま先に進めないということばかりで、停滞気味でした。ついつい答えを求めてしまう、正答はなにかを考えて予防線を張った生き方をしてしまう。

わからないから行動しなくてはいけないんだなあ。

 

 

 

◾︎安全地帯にいる恐ろしさの話

俯瞰して、一歩引いてみることって大切だと思います。事実、私自身も何かをするときメタ視点で考えるように努力しています。

でもそれが一時的に引いた視点で見ているだけだったらいいのかもしれないけど、常に冷静さを装って全てに対して一歩引いた場所で達観しててはいけないなと思いました。

まだまだ私は学生という身分で年齢的にもだいぶ若造ですが、大学という場所においては3年生で、自然とサークル内でもある程度の発言力を持つようになってきました。

するとどうなるか。自分で行動しなくても指示するだけで後輩がやってくれ、仕事も結構後輩へと振っていくようになるんですよ。すると必然的に自分はそこまで冒険しなくても勝手にある程度の成果がつくんですよね。もちろん自分自身で行動もしますし、指示が徹底してなくて迷惑をかけてしまうこともありますし、ある程度の責任を負っています。

でも1、2年の頃と比べて行動する頻度は減っています。行動が減ると次の行動にでるときに動き出すのがこわいんですよ。そうなってしまえば行動しないでそれ違うよとかいいんじゃないとか言ってるだけで結局自分自身はなにもしないで偉そうにしているということになってしまいがちです。安全地帯からでるのが怖くて、でもでなくてもある程度なんとかなってしまっていて。悪循環を繰り返してます。

前の項目にも関係しているのですがわからないから行動するのにわからないから行動しないへとなってしまうことの方が恐ろしいです。

何事にも野次を飛ばすだけのオーディエンスにならないようにしなくては。

 

 

 

 

<最後に>

 

◾︎学生目線で考えるdesign ship 2018

 

全体を俯瞰してみるとデザイナーのキャリアパスについてを語る人が多いように感じました。

これだけの熱意でデザインの未来を語られて、行動で示されてしまったら、渡されたタスキを受け取らないわけにはいかないし走らないわけいかないでしょう。

 

聞き逃した講演の確認をしてたら更新がおそくなりましたが、この2日間、めちゃくちゃ疲れたけどそれ以上に楽しかった!関わった方みなさんに感謝!!

 

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design ship 2019 楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

インターンの面接の行ってきた話

 

都内某社のインターンの面接に行ってきました。私の予想だと落ちると思いますが個人的に面白いなって思った事があったので書きます。

あと内弁慶なので面接で言えなかったあれこれを書きます。

いつもの通り面接の直接的内容は触れずに面接して感じたことを書きなぐってます。

 

◼️「デザイン」という言葉の面白さ

デザインって本当に広い。何でもかんでも「設計」が必要だったら「デザイン」って世の人は言うからなん◯◯デザイナーというものが溢れかえっている。

今回面接官だった方は元々グラフィック系の出身でUI設計が得意。対して私はガッツリUXとかの時間や体験のデザインの出身(?)でUIがそこまでできない。

できることが違うのに「UI/UXデザイナー」という応募枠で面接をし、される関係となっている。

なんかこれって面白い。面白くない?

違うことやってるのにUIとUXがまとめられることにより同じ土壌にあげられている。

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ふと思った、というより実は常に思ってはいるがなんでUI/UXデザイナーなんだろう。

UIを通してUXデザインをします^^という意味なんだろうけど当たり前なことだと思う。

そこら辺の体験踏まえたユーザーインターフェースなのでは???

グラフィックデザイナーだって、グラフィックレコーダーだってそれをすることによってどういう風に場を動かすかとかユーザー体験をどうするかとか考えてデザインしてるけどグラフィック/UXデザイナーとは名乗らない。

たしかに優れたUIでないと優れたUXはできない。だからUI/UXと言いたいのかもしれない。でもサービス考えるうえでUXがわからなくてもいいというポジションの人はどこにもいない気がする。

似たような響きだからってまとめるべきではないしUIとUXは同レイヤーの存在ではない、と思う。

UIデザイナー、UXデザイナーと分けてくれればいいけど、UI/UXデザイナーとするんだったらせめてUI/UX(8:2)デザイナーとか私はこっち側が得意なデザイナーですよ〜と分かりやすくしてほしい。本来分けるとかそう言うものではないけど。そもそも

ついでに私はUI/UX(3:7)デザインぐらいです。

 

UI/UXデザイナーと一括りにされてるのにUIメインのデザイナーとUXメインのデザイナーで話が少し合いにくいのってなんとなく面白いと思います。

 

UI/UXデザイナーをお求めの皆さん、どちらのデザイナーをお求めなのでしょうか。

ミスマッチを減らすためにもUIデザイナー募集かUXデザイナー募集か明確にしてくれると学生としてありがたいです。ガチでUIが出来るUXデザイナー、UXがめちゃくちゃわかるUIデザイナーを本気で募集してるならUI/UXデザイナー募集でもいいけどそうでなければどっちを絞ったほうがお互いハッピーなのでは  

?個人的にUI/UXデザイナーを募集している企業の8割くらいはUIデザイナーを求めている気がします。

 

 

◼️デザイナーは何者か

私の中の永遠の謎「デザイナーは何者か」問題

「プロダクトの設計をする人」「Webの画面偏移を考える人」「アプリのUIを設計する人」「その場の設計をする人」「人の動きを設計する人」「人の思考を誘導する人」「価値を設計する人」

幅広すぎて世の中のことの6割くらいはこじつけでデザインにできる気がする。ブログだってこれを見て読者がどう思うか考えて書いてればもう立派なデザイン!!!このブログについてはそんなこと全然考えてないけど。

自分の人生を設計したら立派ななデザイナーだね😉

 

なんかこうなってくるとすべてのことはデザインだっ!みたいになってくる。なんか上から視線でムカつくな〜って最近思ってます。

 

デザインという言葉が便利すぎる。でもたぶんこんな風にデザインデザイン言ってるのはデザイナーだけなのかもしれないとも思う。

社会に出てない人間だからわからないけど。

 

ここまではデザインの領域!!!と線を引く必要はないと思うけどなんか何でもかんでもデザインって言い過ぎではないですか?

「デザイナーとは何者か」というのがどんどん曖昧になって言っている気がする。

私は一体何者なんでしょうね!

 

とはいっても肩書きにこだわる必要はないと思うので「デザイナーとは何者か」に対して「形式上デザイナーと名乗ってはいるけど別にデザイナーという肩書きにこだわりはないし今やってることがたまたまデザイナーという枠に当てはめられてるからデザイナーで〜す」という気持ちも正直ある。

メタ的に考えると「デザイナーとは何者か」の答えは「何者でもいいじゃ〜ん」かもしれない。

 

 

◼️個人的な共創と当事者デザインの考えのまとめ

共創デザインってなんだろう。当事者デザインとかCo-creation とかなんか言ってるけど。今時代が混沌としてるし先駆的な状態だから仕方ないけど一つの事柄の対して色々な名称があったり一つの名称に対して様々な意味があったりするの勘弁してほしい。

ただでさえごちゃごちゃしているのにこれ以上混乱させないでくれ!!!と思う。

 

閑話休題、私の中での共創というのを一旦まとめておこうと思う。

 

共創とは

自分一人でとか似たような人が集まっても新しい考えはでないよね。違う考えの人と刺激を与え合うことで共に創っていこうね。

そのために

①違う考えを受け入れる

②自分の考えを臆せずに言える

つまり環境を作ることが大事だよね

ということ。

 

でその中身は大きく分けて3つあって

a.ユーザーの意見を取り入れてユーザーと一緒にサービスを開発する組織(例:Blabo、ユーザーが商品の企画会議にプランナーとなり参加できる)

b.他の部署や企業と一緒に、多方面からの視点を取り入れたサービス開発を行う組織(企業横断型のサービス開発とか、産学協同とか?)

c.企業とか関係なく他人に教え合う、教わり合う関係の組織(地域コミュニティとか?)

 

でaとbがビジネス的共創でcがコミュニティ的共創

 

こうなると当事者デザインと共創は似ていてちょっと違う。

 

当事者デザインは

当事者意識を持ちましょう!!という感じ。

例えば

WSとかだったら参加者じゃなくてそのWSを一緒に作るんだ!みたいな

供給を受ける側ではないんだよという感じが一つ。

あとサービスとかを作るとしても作る側がユーザーに対して共感しないとユーザーに寄り添ったサービスは作れないよ。その「共感」を持つためにサービスの作り手としてじゃなくて当事者としての意識があるといいんじゃない?

と言う感じだと勝手に解釈してる。

まあ簡単に言えば他人事として何かするより自分事として考えた方が楽しいし深く考えられるよねということ。かな?

じゃあ自分事として考えるためにはどんなことすればいいんだろう?となった時に3月ごろにやったWSのように様々な物事に対して「着眼」して「解釈」する。

なんでこれが自分事化につながるかっていうと日常的にに行うことで自分と色々なものとの「関係性」が深くなってそれによって自分事化しやすくなる。から深く物事を考えやすくなる。のかなぁ?と思う。

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なんか全部大事なんだけどなんだかレイヤーが違う気がする。共創をするために前提として当事者デザインである必要がある?というような?

なんかそう解釈するとスッキリした。

 

 

自分の中でうーーんと思ってたことがこうして書き殴ることでスッキリする😊

色々な会社へ訪問してきた話

 

【2018.05.23色々な会社へ訪問してきた話】

 

5/23に先輩方が就職した企業に企業訪問()してきました!!!

話によって書いている時間や日付が違うのでテンションがちぐはぐです。

 

 

評価を恐れない話&失敗を恐れない話

 

ある一定の以上の評価が欲しいと思って何かをするとこれをしたら評価が下がるかも……と行動にうつしにくくなって評価の雁字搦めになってしまうという話

評価を恐れない話と似ている。

若いうち、学生なんて特に失敗したって問題ない。失敗してなんぼとまで言われるくらい。

失敗してそのあとどうするか、失敗をいつ気づくかが大事になる。

グサグサ刺さりすぎる。これ今やったら自分の印象悪くなるかも:;(´`);:とか考えるよりこの行動をすることでどんなメリットがあるかを考えたい。なんでこの行動をとるのか、この行動をとることでどんな影響がでてどう良くなるのか考えなければ何もできない。

評価ばかり気にしてたら何もできね~~人生もっと楽しく生きよ。

 

 

社内対抗勢力の話

 

社内でトップに実力にまでなると言ったことがまるで全て正しいかのような扱いをされてしまう。それに対して胃を唱える存在となるような部下を育てている話。

数学の答えではないんだから明確な正解なんて存在しないのに。

教員が、先輩が言っているんだからこれがあってる、自分が絶対に間違ってるということはない。経験値やレベルが高いからそっちの方が正道である可能性が高いけど答えは一つではないし方法も一つではない。

教員が、先輩が言ってたからやる、その通りにするというのは楽なんだけど自分から責任を別のところに置きがちになってしまう。

右も左も分からない時に指示を待つのはまだ許されても自分で歩けるようになっても上司からの言葉を助言としてではなく指示として受け取ってしまっていたら自分の先はなくなるなぁと思った。気をつけたい。

 

タスク管理の話

具体的にやることを事細かく管理すると「なぜ」それをやらなくてはならないのかを考えなくなり、脳死事務処理人になってしまいがち。

細かくするとしてもそれ一つ一つを「なんで」やるのか「誰のために」やるのかを考えてやりたい。

 

目先のことを考えずにもっと先のことを考えたいね。「なぜ」それをやるのかということを忘れてしまう。ToDoではなくWhy do you do()というような?なんか言語化するのが難しい。行動から考えずに何のためにやるのかから行動に落とし込んでいきていこう!その行動の目的を忘れたらダメ。

 

未来を語る話

サービスを考えるにせよ仕事をこなすにせよ自分の中での軸が必要なんだなと思った。その軸っていうのは綺麗な言葉で言うとこの世界をどういう風にしていきたいかということなのだと思う。大きく言うと「こんな誰かが辛い思いをする世界イヤダ~もっと幸せにあふれた愛に溢れた世界じゃなきゃイヤダ~><」という我儘で強欲な心を持ってなきゃ未来は切り拓いていけないのだと思う。

小さく言えばある特定状況で特定の人が困っているこれおかしいでしょ!もっと良くできるじゃん!みたいな。

こじつけになるが、だからペルソナを大事にしなくてはならない。ペルソナというのターゲットではなくこの世界に住む人間の生き写しなのだからペルソナ幸せにできないサービスだったらこの世に出た生身の人間を幸せにできると思うなよ?というような。

 

 

 

UXデザイナーがUXがわからない話

UXデザインの良さが上司や社内に伝わらない~><」ってそれお前上司のUXをデザインできてないんやで~と言う話。社内でUX><と言う前に上司にすらわからない状態でUXが必要です!とか喚いてるんじゃねえぞ!上司の体験すらデザインできてねえじゃねえか!それでユーザーの体験をデザインできると思うな!!!と言う話(過剰に書いてます)

心に刺さりすぎてつらい。私は以前家族に月1で東京に遊びに行っている女だと思われている話をした。これって上司がUXわかってくれないんですよ~><と同じ状況なのだと思う。

現状、家族にろくな説明もせずに「ふぇぇ……家族が私のことを遊んでる女だと思ってる……っらぃ……」と言っている状態だ。家族全員がUXを常に考えてますというような風にならないにしても自分がどんな勉強をしているかくらい説明してわかってもらえるくらいには言語化できるようにしたい。

というよりそろそろ家族に説明できるくらいにならないと「あの子バイトもろくに入らずに遊んでばかりで就職大丈夫かしら……」と心配されかねない。冗談ぬきで。

 

HCDの話

前回ジョブ理論のセミナー受けて自己解釈で色々書きなぐりましたが色々な方のお話を聞いたり読んだりしてすこし頭の中が落ち着いてきたのでまた後日まとめます。

簡単に言うとみんなでHCDを基盤に色々な方向から豊かな未来(なんだかいやらしいけど言葉が見つからない)にアプローチしてるんだなって思いました。

前回のやつはいろいろ変なこと書いてて生き恥感はありますが生きている限り毎日恥みたいなところあるのでそのまま修正せずにいようと思います。己の恥に向き合います。

 

 

 

 

 

 

色々な所へ行ってインプットしてブログだと好き勝手まるでわかったかのような口ぶりで書いてるけどまだアウトプットできてません。サービスとかとして形にできるものとして何も完成してません。でも6/1に静岡で中間発表はします!!8月ぐらいには完成形を東京で発表します

イキリブログを書く遠藤のアウトプット結果とは!!乞うご期待!!!

 

 

 

 

余談

 

久保田とくすんだキキララコーデで午前中にたいやきを食べてきました。語彙力がなくて食レポはできないですが皮がパリパリであんこが小豆の味がすごくて美味しかったです。

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『ジョブ理論』早わかり実践セミナーに参加した話

【2018.05.18なぜ、人はミルクシェイクを「雇う」のか?クリステンセンの『ジョブ理論』早わかり実践セミナー】

 

杉田先輩が所属するIMJさんが主催したジョブ理論のセミナーに参加させていただきました!!

今はジョブ理論だ!!!ジョブを見つけろ!!!っていうけどジョブ理論ってなんなのさ!!!UXDと結局何が違うんじゃ!!!!!!ユーザーのニーズとジョブって何が違うんじゃ!!!!という思いの元今回のセミナーに足を運びました。

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(5/18時点で講師である樽本先生のUXリサーチの道具箱をまだ読めてない状態ですのでそれ本読めば答えあるよという内容も書いてある可能性があります)

 

 

UXとジョブ理論は同レイヤーの話ではない!!!!

UXDの中にジョブ理論という考え方があるんだ!!!

という感じで落ち着きました。

 

 

■人が何かを新たに始める時の仕組みの話

不満と期待

惰性と不安

これが互いに引っ張りあって買うか買わないかを決めるという話。

よくよく考えれば当たり前だがこうやって言語化されるとなるほどなと思った。

 

あれっこれってバリュープロポジションマップと似ているでは……?

ペインとゲイン

ペインリリーバーとゲインクリエイター……?

ちょっと違うけど.....

要するに人が何かをするときにはそれをするのに求めていることがあって(=ゲイン=期待)一方でできない理由があって(=ペイン=不安)それに対してそれぞれ対抗策が必要(不満に対する対抗策=ゲインクリエイター、惰性に対する対抗策=ペインリリーバー)ということ......?ゴリ押し感は否めないけど......

 

ここでテレビショッピングの例が出てきた。

「不満=お掃除するのにコード邪魔ですよね!」

「期待=軽くて持ち運び楽々!」

「惰性の打破=今なら掃除機下取りサービス付き!」

「不安の緩和=30日以内なら返却OK!」

 

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■ジョブとニーズの話

ジョブ視点でユーザーのジョブを見つけよう!とかいうけどジョブってなんじゃ!!UXでいうニーズと何が違うんじゃ!!!とモヤモヤしてた。

 

ジョブっていうのはUXの手法でいう上位下位法の行為欲求と本質的欲求の部分になるらしい。ニーズっていうと表面的欲求もニーズになってしまうけどジョブになると「何を解決するためにその行為を行ったのか?(=なぜそのものを雇用したのか)」ということらしい。つまりニーズの中でもより本質的欲求しますに近いものがジョブ(?)ということ(?)

まあ何が言いたいかというと結局ジョブもニーズも大して変わらない。言語が違うだけ。

 

 

■UXデザインとジョブ理論の話

ジョブ理論と比較するのって「上位下位分析法」とか「親和図法」といった手法であってUXDという考え方ではないのだろうなと思った。

 

ユーザーの本質的欲求を抜き打ちたいんだったらインタビューして上位下位で分析すればいい。あなたの本当になりたい姿、叶えます。

逆に競合はどこかリフレーミングしたいのならジョブ的思考で考えればいい。あくまで競合を洗い出すためであってそこから新たにサービス開発しようと思ったらまたもう人ステップ踏む必要がある。既存のサービスがあることが前提でそこから発展させていきましょう!

 

ジョブやニーズを求めるということは同じであってもそれを何のために使うかは違うのかな。

たどり着くまでの手段が違うだけで目的地は同じ。

 

結局は手法によって用途は違うよね!という程度な気がする。

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■製品スペックとジョブスペックの話

結局はこれってUX言語でいう機能と体験(=シーン、ストーリー)なんだと思う。

ユーザーにとってジョブスペックがクリアしてなければ製品スペックを気にするまで行かない。

ユーザーにとっての目的をクリアできなければどんなに機能が優れていてもそのものを購入することはない。

 

より優れた体験をするためには優れた機能がなくてはならない。いかに優れた機能があったとしてもそれが求める体験と一致しなければ優れた体験にはならない。

 

ほぼほぼ同じ(?)

 

 

■遠藤的ジョブ理論で考える強み

ジョブ理論を考える上で絶対に市場の把握が必要。なぜなら同種のプロダクトでしか解決できないことはそれはジョブではないから。

つまりジョブ理論で考える時点で従来の考え方(=同種との争い)から離れることになるため、市場のリフレーミングができる。

必然的にビジネス的な視点が入る。

→既存のものの視点のリフレーミング

 

今までのUX(調査、分析、コンセプト......)

あくまでユーザー中心

だから競合はどこ?とかこの領域なら勝負をかけられるみたいなビジネス的視点は抜ける。

 

 

 

■感想

この1時間程度のWSでジョブを見つけ出して新しくそのジョブのためにどのようにアプローチするかということが(浅いながらも)できてしまったことが本当に悔しい!!!!!!普段私たちはあんなに時間をかけてユーザーインタビューして分析してようやくニーズ抽出してアーーーーーこれ本当は本質的欲求じゃなーいウワアアってなりながらやってるのにこんな短期間でできてしまったことが悔しい!!!!!!!!悔しい!!!!!

でも今回こんな風にWSで結構サクサクできたのってこのセミナーに参加してる人が普段からUXデザインに携わってる人でモノじゃなくてコトをベースにした考え方ができているからなんだろうなとは思った。

 

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ジョブってのは結局のところUXデザインの手法のバリュープロポジションマップの右の一部であり、現状の可視化でしかない。

でも現状(ASIS)を理解してない人は未来(TOBE)は作れない。その現状を理解するための手法の一つとしてのジョブ理論。

 

 

私の中でジョブ理論が破壊的イノベーションの足がかりだ!!!と言われて本を読んでもあまり「それ予想外!!!めっちゃ以外!!!」とならなかった。逆になんでこんなに「新時代のバイブル」みたいな扱いを受けているんだろうと疑問に思ってた。

その理由ってただ単に自分が知識不足でジョブ理論をうまく咀嚼できてなかったからかなと思っていたけど、ジョブ理論の軸である「ユーザーはジョブを解決するためにものを雇用する」という考え方が私に中で「そんなの当たり前じゃん」という風に思ってたからかもしれない。

UXの視点で考えれば「コトベース」で考えることは当たり前なわけであり、製品スペックが優れてる!と言われてもそれユーザーのニーズにあってなければ意味ないという風に思うのは自然だ。

よくよく考えればジョブの考え方ってUXDの手法の一つなんだからそりゃそうだ。

普段からユーザーの本質的欲求はなんだ!!というのを普段からやってれば「えっ!製品スペック考えてれば売れるでしょ!出来が良ければモノは売れるん時代はもう終わっちゃったの??」と衝撃を受けるわけがないんだよなぁ。

もちろんマーガリンの競合がオリーブオイルだと言われて「そういう捉え方があるのか!」とは思う。でも「まあニーズが同じなら競合になりえるのは当たり前だよな」という風に考える。

なんだかスッキリした。

 

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ジョブ理論の考え方というのはあくまでUXDの手法の中のバリュープロポジションというよりビジネスよりの手法の中にある「ジョブ」という視点から同じジョブを持つもの同士は業種は違っても競合相手になりうるよ。そのこと忘れてサービス開発してるとどれだけ業界シェアが大きい会社でも知らない間に別の業種に喰われるから気をつけろよということなのかなと思った。

 

ジョブで考えてイノベーションを起こそう!というのはそうなると少し違う気がする。

イノベーションを起こしたサービスは全てジョブを捉えているというだけでジョブを捉えただけではイノベーションは起きない?。

ジョブを捉えるのはあくまでASISでイノベーションを起こすためにはTOBEを考えてある必要がある。

でもTOBEを考えるためにはASIS無しでは語れない(現状を知らずに未来を語るなということ)

そのASISを捉えるのに「ジョブ」という視点があるよ!というだけなのかな。

 

色々な方面から怒られそうだ。

 

UX的思考をビジネス向けに翻訳してわかりやすくしたのがジョブ理論で元々UX畑で育った私はそれをまたUX的言語に再翻訳してなるほどねとなっている感じだった。

 

 

あくまで遠藤の自己解釈なのでその解釈違うよという人はぜひコメントや遠藤にメッセンジャーを飛ばしてくださると幸いです。

 

 

 

 

今回の話とは全く関係ないのですが数年ぶりに逆方向の電車に乗り間違えました。

午前中に早めに六本木付近に行って麻布十番らへんをウロウロ練り歩こうと思ってたのに新宿駅で迷い大江戸線で逆方向の電車に乗ったせいでめちゃくちゃ時間ギリギリになってとても悲しかったです。前日の夜にどこらへん歩こうかウキウキしながら計画を立てていたこともありより悲しみが深いです。

DMMの草たちから発せられる(?)マイナスイオンに心を癒されました。

来週もまた東京に行く予定があるので都内散歩チャレンジしようと思います。

 

 

UXデザイン概論に参加した話

 

 

UXデザイン概論(2018年HCD-Net東海UXデザイン連続セミナー STEP0)に参加してきました。

稚拙な言葉になりますがUXについて改めて捉え直すことができました。

また、懇親会では大学で忘れかけていた人間の温かい愛情にふれホロリとくるものがありました。

 

◾️講座内容について

UXD概論ということもあり内容としてはUX、HCDの基礎的なことでした。

普段授業やプロジェクトでやるときは「手法としてのUXD」なんですよね。言葉がきついかもしれませんが「形式的UXD」みたいな。

どこかにもちろんユーザーの嬉しさはあるんですが、サービスを完成させるための手段、考え方としてUXDがあるというような感じ。

本当の目的はサービスを完成させることではなくサービスを使った結果ユーザーがどうなるかなんですけどね。どんどんのめり込んでしまうとユーザーにどのようになって欲しいのかが疎かになってしまいがちで「ユーザー体験デザイン」の「ユーザー体験」が薄くなっていくぞ🤔というような。過剰表現するとこの手法でやったんだから絶対このニーズは間違いないよ!手法でやったんだから間違いないよ😉となりがち。このままいくと失敗に気づけない哀れな自称UX/UIデザイナー(笑)まっしぐらなので「どうなってほしい」を常に軸に持てるように頑張りたいです。

 

 

◾️機能と体験の話

機能と体験の話がありましたが優れたインタラクションには優れたUXは必要ないけど逆は絶対にありえないみたいな話をどこかで聞きました。結局は機能が重要なんじゃないの?みたいな質問がありましたが全てはこれに終結するのではないかなと思います。全く関係ないですが私のバ先にはどちらもないです。

 

 

◾️UXデザイナーは時間を扱うスペシャリストである話

UXデザイナーは時間を扱うスペシャリストという言葉がなるほどなぁと思いました。

体験をデザインするというと瞬間的UXをデザインすることに気を取られがちになり、結局は機能中心になってしまう気がする。

ここの時間とはユーザーとサービスの文脈を表している(と思う)のですが文脈を読み解き、再構築するなんて言われたら何言ってるんだこいつ??という感じですし。

そのサービスに関する一連の時間を総合的に扱うとなるとなんだかわかりやすい気がします。今度家族にお前学校で何してんだと聞かれたら「時間をデザインする勉強をしてるよ(シャララン......)」みたいに言ってみようと思います。流石に中身省略しすぎ感はありますが。

UXを勉強してる、仕事にしてるみなさんの親や家族から 「お前何してるの?」ときかれたらなんて答えてるんでしょうか。前は営業って答えてるという方はいらっしゃいましたが。

 

 

◾️死なないペルソナの話

山崎先生は何人かのしっかりとしたペルソナを何度も使い回すという話。

確かに企業とかのユーザーがある程度絞れるのならその方が効率的です。

私はペルソナ大好き人間なので何かサービス作るときに絶対に「あ〜こいつのこと絶対に幸せにしてやりて〜。こいつにもっと豊かな人生送らせてやりて〜」と思いながら考えてます。言葉にすると物凄い上から目線で正直自分でも引きました。

ペルソナに対する愛情だけなら自信があります。

一方で妄想ペルソナになりがちなんですよ。一応調査して分析した結果からペルソナを作るのですが地に足ついたペルソナなのか自分ではわからない。ゴールであるペルソナを信じきれない!どうすればいいんだ!!!!

自分が信じきれないせいで何人ものペルソナを殺してきたんだと思うと涙が出ます。京子……由紀……殺してしまってすまねえ……

ペルソナ連続殺人事件だよ……

ちゃんとゴールとしてのペルソナを作ることを胸に誓いました。

 

 

色々と質問したいことがモリモリあったのですが質問タイムでは別件で心が折れ、懇親会では気の高まりのあまり聞き忘れるというゴミオブゴミみたいな状態でしたので今度お会いできたときに聞いてみたいと思います。

 

 

 

ところどころで発せられる安藤先生のパワーワードがとても面白かったです。

 

 

 

 

 

◾️世界をもっと愛に溢れた世界にしたい話

 

誰にも褒められなさすぎて10秒褒められただけで号泣する自信があります。

最近の若者は自己肯定感が低いとか言われがち(当社比)ですがそれって絶対他人から褒められないからだと思います。

褒めるときは影で褒め合い(本人に届くことは基本ない)家族には最低でも月一で東京に遊びに行く女だと思われ特別誰からも肯定されることなく生きてきたのでほんとよくよく考えるとこんな環境下で今までやってこれたなと思います。

もっと他人を褒めて愛に溢れた世界にしましょう。

絶対1日1回は他人を褒めた方がいいし他人に感謝の気持ちを述べた方がいいと思うんですよ。私自身も何か他人から施されたときは「すみません」ではなく「ありがとう」と言えるような人間でありたいです。そして私の周りをもっと愛に満ち溢れた世界にして私を幸せにしていただきたいです。

 

 

そして愛とメンタルの強さと意識の高さを装備して就活に挑んで行きたいと思いました。

(安藤研の展示会を見に行った後も同じようなことを言ってた気もします。)

 

 

 

◾️懇親会の弁解の話

懇親会で物凄いはしゃいでたのですが弁解をさせていただきたいです。

 

お酒が入っていたのもありますが本当にUX王子大好きミーハークソ女みたいな行動ばかりして本当に申し訳ないです。

 

私はめちゃくちゃ安藤先生大好き人間なのですがしっかりと理由があって(?)好きです。

顔が好き!!!とかそういうのではなくて、私と久保田が愛を取り戻した(?)場所が安藤研の展示会なんですよ。

私たちに足りないものは何かってなった時に答えが愛だったんです。

なんかこれだけ読むと勝手に安藤先生に愛をもらったと勘違いしてる夢女みたいで自分でも笑いました。

心が荒んでた時期に安藤研の展示会に行ったのですが、安藤先生が自分の学生のサービスの良いところをプレゼンしてるんですよね。物凄い衝撃的でした。もちろん自分自身が自分のサービスを愛してあげられることが一番なのですがやはり自信が持てないんですよ。なんかそこで指導者がここが良いって肯定してくれるのって学生にとって物凄く自分のやったことは間違いじゃなかったんだって安心できますし自信になるんですよね。そんな風に失敗恐れてるから成長しないんだよと言われたらそれまでですけどね。

まあ安藤先生が前に展示会のUX設計は慣れてるんですが〜みたいなことを言われていたので来場者がそういう風に思うことまで踏まえた上での行動なのだとは思いますが。安藤先生の手のひらの上でコロコロされてます。きっと勝手にコロコロしてるふしもあります。

 

でも安藤研の展示会に行った結果感動しすぎて同級生と夜ホテルで付箋に自分のサークルの展示会との比較を書き出して来年はこうしようみたいなことを似非KJするくらいにみんな衝撃受けたのは事実です。

 

まあそれを踏まえた上でも今回懇親会での行動は本当に反省しかないですね。羽生結弦を前にしたファンみたいな感じでした。なんか本当に実力のある先生に対してアイドルのようにキャーキャー言うのは如何なものかと昨日の自分を叱りたいです。

これからは節度を持って生きていこうと思います。

 

 

 

 

 

以下今回のセミナーの内容自体とは全く関係ない私のグラレコに対する独白になります。

私はグラレコアンチ過激派なのでグラレコファンの方は読まないほうが良いと思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◾️なぜ私がグラレコアンチかという話

サークル内ではグラレコアンチ過激派として名高い(?)私ですが一回どこかでなぜ私がグラレコアンチなのかを描いておきたいと思ったのです書きます。アンチと言いながら何だかんだグラレコと関わりは持っていますが。

 

私がグラレコを何となく好きになれない理由として何個かあるのですが

「描けてないのにもてはやされる」

本当にこれが嫌なんです。

決して何でアイツ全然描けてないのにあんなにもてはやされてるんだよっていう感じではないです。

私自身が描けない人間なのに完成するとなんとなくそれっぽく見えるから「すごい!」「一目で内容わかる!」「写真撮らせてください!」とか言われるのが本当に苦痛なんですよね。自分が質の低いグラレコを描きがちなことがわかるから特に。

ならはやく描けるようになれっていう話ですが。

女子大生が頑張って描きました><ということに価値があるのかなと思いがちです。実際のところそうなんだろうけど。

ぶっちゃけた話なんちゃってグラレコ、それっぽいグラレコって誰でも簡単に描けるんですよね。カラフルでいい感じにイラスト描いていい感じに背景色で分割すれば誰でもそれっぽいものは描けるんですよ。構造化されてるか、話の主旨がおかしくなってないかとかを考えなければ。

あと登壇者についてきてる?とか心配されるグラレコとか最悪だと思ってます。円滑に進めるためのグラレコ/記録用としてのグラレコがスピーカーの邪魔をするってあってはならないと思うんですよ。

こんなグラレコして価値あるのか?と思います。

そして何がつらいって自分が今あげた条件をほぼほぼコンプリートしてるんですよね。

これらをできる人が身近にいて、なおかつ自分は全然できないなんて状況なら根暗ひねくれクソ女ならアンチになるのも仕方ないと自分自身を擁護してます。

逆に言えば構造化されてて話の主旨が伝わりやすく、わかりやすく、紙の周りに集まって自然とディスカッションが生まれるようなグラレコならそれはもっと奨励されるべきであると思います。そんなレコーダーは日本に何十人いるか知りませんが。

 

まあそんなこと言ってたら新しくグラフィックレコードをしたい人を全否定することになってしまうんですけどね。

 

 

グラレコの繁栄と共にジョウヨウ女子大()は栄華を刻んできました(?)が常葉のグラレコの衰退によりどう変化して行くのでしょう。もしかしたらグラレコ4.0みたいなことが起こるかも!言うだけなら自由!!乞うご期待!!

 

 

補足

グラレコアンチって言ってますがグラレコが嫌いなわけではないです(?)

主催者がなんのためにグラレコと一緒に会場を作り上げたのか、どのように利用したいのかなどがしっかりと定まっていて、なおかつレコーダーがそのために描き上げている場合のグラレコは大好きです。ただ単に聞いたものとプレゼンデータをレコーダーが何も咀嚼をせずに描いてしまったらそれはどうなんだろう?というだけです。

こんなにグラレコのこと野次飛ばしてますが私は本当に描けない人間なので常にビクビクして生きてます。

 

ネタで言ってたグラレコ4.0ですがもしかしたら本当に起こるかもしれないです。

いつかブログに書くかも!

 

Xデザインフォーラムに参加した話

 

いつもの2.7倍くらい文章が散乱してます。

 

今回のデザインフォーラムで個人的にキーワードだった言葉が「楽しむ」だ。

 

◾️本質の追求を楽しむ・答えを探すことを楽しむ

定期的に外に出ないと忘れてしまう!学内にひきこもてたらついつい作業ベースで物事を考えてしまう!!!!

学内にいるとデザインすることが作業になってしまい、よくわからないけどこれをやらなきゃいけないからやるとなってしまう。怠惰の脱却を目指して。

 

定期的に自分は何をしたいのかという問いを投げかけてその答えを胸に抱きながら行動したい。

こういった刺激を受けないと気づけないし動けない自分が悲しい。

問いを持ち続ける

問いを更新し続ける

つまりは自分も更新し続けなくては!!!!

 

メタな視点ミクロな視点を行き来する?

問いが学びや思考を深くする?

パラレルな視点を持つ?

どれも全然できてない!

 

 

 

 

◾️学びを楽しむ

学ぶことって本来楽しいことだよね。能動的に学ぶと楽しい。受動的になると苦しいだけだけど。教育の場における学びの苦しさってここなんだろう。受け手の立場に身を置き続ける限りは楽しい学びなんてできないだろう。逆に言えば「やりたい」と思って動けばたとえしんどいことでも「楽しい」と感じられる。某大学にいるとついつい受け手に周りがちになってしまうので気をつけなければ。

 

友人の話や新校舎が建った某大学の環境に身を置いて定期的に思うのが、おかしいことをおかしいと言えない、思えすらしないって何事?そんな風潮は一刻も早く滅びてほしい。

そんな社会と抗うという決意を胸に抱き頑張って生きていこうと思った。

 

◾️Unlearnという言葉

学び直しとは違う、今までの古くなった考え方は壊して、新たに創造しながら学ぶということ。

今まで積み上げて来たものを壊すってためらってしまうんだろう。自分はまだ積み重ねる段階だからわからないが。

積み上げたものを速攻で壊せる人間になりたい。

 

◾️午前の「問い」のWSの話

個人的に消化不良〜という感じで終わってしまって悔しい!

こういうWSでもなんでも最後に無理矢理にゴリ押しちゃうからなんとなく形になっているけど今回の本題である「問いを更新し続けられたか?」という観点からいくと弱かった気がする。他人の意見に対して「あぁ!なるほど!そういう考え方もあるのか!」となって終わってしまう自分の未熟さが悲しい。次の「それってこういう風にも考えられるのでは?」にいけるだけの頭の柔らかさを身につけたい。あと常に何のためにこれをやっているのか?を忘れずに行動したい。順序に囚われないようにしたい。気をぬくと作業する癖をどうにかしたい。切実に。

 

◾️ポスター発表のについて

 

自分のプロジェクトが甘いばかりにあまりサービス内容に「ダメ出し」されなかった。もっと殴られる覚悟で行ってたのでなんだか拍子ぬけてしまった。それだけ十分な説明ができなかったということで己の未熟さを突きつけられ悲しみが深い。「ここよくないよね」「こここうした方がいいんじゃない?」と言ってもらえるようなサービス(とわかりやすいレイアウト)が作れるように自分のランクをあげなくてはと改めて思った。

 

 

 

 

前までは様々なことに対して怒ってましたが最近では怒りを通り越して悲しみを抱くようになり嘆きすぎて嘆きの遠藤になりかけていてとても悲しいです。

ヤマケン展とアンドウケン展示会に行った話

▪️デザインの力をもうちょっと信じてもいいかなと思った話


なんか今までデザインは手段としてすごく便利(?)なものだなという思いはあったけどデザインが好きかと言われると別にそこまで......という感じであった。

決して嫌いなわけではない。でもすごいデザイン好きなんです!ほんとにデザインで世界を変えられる!という風な人や会社に出会ってきたがそれと比べると別にそこまで……という感じでなんだか引け目を感じてた。

今デザインをやってるのは好きだからやるというよりも手段としてデザインがあってそれが効率的(?)で自分が何となくできるからやっているという感じであった。

でも今回「デザインの力で人と人との摩擦を減らす」ということを聞いてなんか自分の中でストンと落ちるものがあった。

なんか言葉にできないけど落ちてくるものがあった。確かにデザインの力で問題解決はできるんだなっという感じ(?)

デザインは役に立つんだなというような(?)

ただキレイ、カッコいい、だからなんか見てて心地よいみたいなことじゃなくてこのデザインには意味があってそれによって何かが変わって行くというような(?)

デザインの力で世界がちょっとだけ幸せになる。

先日観劇した舞台のカーテンコールでキャストさんが言っていた「目標は世界平和。そのために自分の演技を見てもらってまず来てくれたお客さんに幸せな気分になって帰ってもらう。」という言葉が印象的であった。

世界平和というと仰々しいけど、まず目の前の人、サービスを使ってくれる人をデザインの力で幸せにするというのも世界平和なのかなと思った。

デザインってなんだか嘘くさくてよくわからない気がするけどもう少し信じてもいいのかなと思った。




▪️アンドウケンとヤマケンとミライケンの話

並べるな畏れ多いという感じはある。


・サイクルのスパンとフィードバックの話

フィードバックがあるのはいいなという風に思った。こういう意見があったのでこう改良しました、みたいな。当たり前なんだけどミライケンって全然それできてなかった。全然サイクル回ってないやんけ~。回って2周目でゴール程度。もっとサイクル回そうと思った。その為にはスパンを短くする必要があるなって。半年で1サイクル最長で1年間で1サイクルとか遅すぎでは?長くても2ヶ月で1サイクルぐらい回さないと全然ブラッシュアップされていかないなと感じた。


・実物、触れるものがないこととフィードバックの話

ミライケンのダメなところってものとして完成する前に結局終わってしまうということが去年から言われていたが改めて痛感した。

こういうことができるんじゃない?という提案してもそれ提案止まり。実際に動くものもない。見るものしかなければフィードバックの質も下がるよな~と思った。

せめてアプリUIぐらいは動かそう!

プロトタイプははやくしよう!

手を抜けるところは手を抜こう!

とにかくはやく物事を進めよう!


・ふわりんコンセプトの話

インタビュー下手くそ芸人がインタビューすると切片化した付箋の質が悪すぎて良いインサイトが全然できない!!そんなことインタビューする必要ないやんけ!!てなってしまっている。そんなんだもんでふわりんコンセプトになってしまう。調査手段としてもっと人の根源に迫れるようにしなきゃなぁと思った。



・問題解決じゃなくて場を取り持つためのデザインの話

問題は解決されなくても問題を中和するためのデザインってなんか良いなと思った。穴を埋めるんじゃなくてその場を乗り越えるためのデザイン?

もちろんその問題自体を解決するのが一番良いんだけど場合によってはそれができるとは限らないし、求められているとも限らないなって。もし求められていにのにごり押したら善意の押し売りになってしまう気がする。

さじ加減が難しいなぁと思った。



▪️関わりのデザインについて勉強したいなと思った話


とくにまだ何も決まってないけどなんか深く学びたいなと思った。

先日名古屋のFWで結局関心を持てるかどうかなんて自分がそれにどれだけ関係性を感じているかなんだなぁということをなんとなく思った。

そして昨日今日とヤマケンとアンドウケンを見てなんか自分のやりたいこと研究したいなと思った。

今までは何すればいいかわからなくて結局待ちで与えられるものをこなすという感じだった。

与えられたものだからそんなに入り込めないし結局は形としてUXの手法をやっとくみたいな節があった気がする。深めたいから何かをするというよりはプロジェクトを終わらせるためにやってるという感じで。

そう思いながらも何やりたいか自分でもわからないから流されるみたいなみたいな。

まだ何も決まってないけど。